月下の約束



 暗闇の中、はるかは立ち尽くし、目の前に広がる深く沈んだ海を見つめていた。
 はるかはディープブルーに身を任そうと思った。
 足を踏み出そうとした瞬間、体の自由がきかないことに気付く。
 その時海は突如、引き潮のスピード映像のように、はるかの足元から音も無く遠のいていった。
『待ってくれ!いかないでくれ!』
 はるかの叫びを拒絶するかのように、引き潮はそのスピードを速めた。
 後に残されたのは、ただひたすらの暗黒の世界・・・。
 はるかはひとり立ち尽くすだけしかできず、ただそこにいた。

「はるか」
 目覚めると、はるかの目の前にはみちるの顔があった。
「うなされていたわ」
 心配そうにみちるがはるかの額にそっと手をあてる。
「あぁ・・・なんでもないんだ」
 はるかは、いつのまにか眠ってしまっていたソファから身を起こし、窓の外を見た。
 外はまだ傾いてもいない太陽が眩しく照っている。
「まただ・・・」
 はるかはひとりごちた。
「どうかして?」
 みちるの言葉など耳に届いていないかのように、はるかはじっと窓の外を見つめていた。
 はるかはここのところ、眠れない日が続いていた。
 浅い眠りの繰り返し。
 眠りについたかと思うと、いやな夢を見る。
 暗闇にひとり残される、孤独な夢。
 3つのタリスマンが揃ったあの日からずっと・・・。
「・・か、は・・か、はるか」
「あ、あぁ、ごめん」
 はるかは、みちるが何度も自分を呼んでいたことに気付いて詫びた。
「大丈夫?今日は私ひとりで行きましょうか?」
「いや、大丈夫さ。ボクも行くよ」
 君をひとりになんてさせないよ、と言いかけて、はるかはその言葉がなんだか今の自分が口にするのは空々しいような気がして、そのまま口にすることなく飲み込んだ。

 月の光以外に明かりなど何も存在しない草原。
 風の騒ぐ声を聞き、海の荒れる予感を抱いて、はるかとみちるが赴いたその場所には、邪悪な気が満ちていた。
 はるかは、夢の続きを見ているような錯覚に陥りそうになるのをなんとか踏みとどまっていた。
 苦戦の末、敵を倒した二人だが、はるかはその体に傷を負い、草原に体を投げ出した。
「たいした傷じゃないよ」
 はるかはそう言って笑ってみせた。
 しかし変身をといたシャツの色が黒でなければ、月明かりの下でもはっきりと血のにじみが見てとれたであろう。はるかの顔色からも容易にそれは推測できた。
「顔色が悪いわ、はるか」
 みちるがそう言ってはるかの体に手をかけようとすると、はるかはその手を避けるようにサッと上体を起こし、草原に座り直した。
「はるか・・・?」

 はるかの様子がおかしいのは今日だけではなかった。
 3つのタリスマンが揃ったあの日から・・・。
 みちるは時折自分に向けられる、はるかの哀しみに満ちた視線を感じながらも、何をしてやれるのかがわからず自分を責めていた。
「はるか、あなたの戦い方、近ごろおかしいわ」
 みちるは自分の不安をはるかに投げかけた。
 本来なら、はるかの気持ちを汲み取ってそれに応じたいところだが、今のはるかは自分が知っているはるかとは違う、何か別の次元にいるような存在だとみちるは感じていた。
「そう?ボクは以前と同じつもりだけど」
 優しい口調ではあるが、はるかの目は遠くを見つめていてどことなく素っ気ない。
 みちるは構わず続けた。
「攻撃をかわそうともせずに・・・。自分の身を切らせて相手を討つような戦い方・・・あなたらしくないわ。こんな戦い方をしていたら、いつか・・・」
 ふいに、その先は言ってはいけないような気がして、みちるは黙ってしまった。
「死んでしまう?」
「はるか!」
 からかうように言うはるかの言葉には、切なさが感じられた。
「みちるより先に死ねるんならボクはそれでもいいよ」
「どうしたの、はるか・・・」
 あふれる涙を止めようともせずに立ち尽くすみちるを見て、はるかはゴメン、とひとこと言うと大きな息をついた。
「ボクは腹を立ててるのサ。自分自身にね」

 みちるは黙っていた。
 はるかが自分から自分のことを話すことはほとんどない。それを話そうとしている今、はるかの精神状態の不安定さは計り知れない。
 吐き出させ、楽にさせたいとみちるは思った。
 はるかは頭上に輝く月を見上げてゆっくりと話しだした。
「ボクは君との約束をただ守ろうとしてたんだ。使命を果たすためならお互いの危機を救ったりしない、とね。でもボクはバカだった。君が言い出したあの約束は、ボクだけのものだったんだ・・・。君がボクを守ろうとした約束だった。そのことに気付きもしなかった・・・」
「私ははるかの足手まといになりたくなかったのよ」
「みちるは優しいな。そうやっていつもボクをかばってくれる」
 はるかは微笑んでみちるを見つめた。
「私こそ、いつもはるかに救われているわ」
 はるかは苦笑いを浮かべ、みちるの言葉に首を横に振った。
「ボクは自分が死ぬことなんて少しも怖くないんだ。そんなことより君を守れなくなることのほうが何倍も怖い・・・。そう思っているクセに、気が付くといつもみちるに守られてる。ボクのほうこそ足手まといサ。それに・・・」
 はるかは言葉を詰まらせ、みちるから視線を落とした。
 震える肩と声が、はるかの表情をみちるに伝える。
「ボクはあんな思いをするの、もうたくさんなんだ。ボクの目の前でみちるが傷つき、倒れ、動かなくなった・・・。あの時みたいな思いをするくらいなら、みちるより先にボクが死ぬ。そう決めたんだ・・・」
「はるか・・・」
 今にも消え入りそうな声ではるかは続ける。
「お願いだみちる・・・ボクより先にいかないでくれ・・・。みちるのいない世界なんて・・・お願いだ・・・」
 再び言葉を詰まらせ嗚咽するはるかを、みちるはそっと抱きしめた。
「ごめんなさい、はるか・・・」
 はるかの気持ちを受け止め、みちるの心が震えた。
「はるかをだますようなことをしてしまったのね・・・。ましてあなたを苦しめることになるなんて・・・。私ははるかにそうして欲しかっただけなのよ。私のためにはるかが傷つくなんて耐えられないから・・・。」
 だけど、と言ってみちるは言葉に力をいれた。
「忘れないではるか。私だってあなたを失ったまま生きていけるほど強くはないわ・・・。」
「みちる・・・」
「だから私のためにも先に死んだりしないって、今ここで約束して」
「みちるのために・・・?」
 はるかはやっと声の震えを止めることができた。赤くなった目でみちるを見つめる。
「そう、私のために・・・。私も約束するわ。あなたのためにも先に死んだりはしないわ」
「みちる・・・」
「どう?今度はカンタンでしょ?」
 微笑むみちるにつられ、はるかもようやく笑顔をとりもどした。
「カンタンかどうかは別にして・・・。ボクが生きていることがみちるに対する愛の証しなんだというのなら、ぜひ守りたいよ。その約束」
「よかった・・・。私のナイトはあなただけよ・・・はるか・・・」
「うん・・・」
 帰りましょう、と言ってみちるは傷を負ったはるかの体を支えるようにして立ち上がった。
「ウッ・・・ツ・・・」
 体の傷が、思い出したようにはるかにその痛みを告げる。
「歩ける?はるか・・・」
「大丈夫さ・・・。優しくしてくれるんだろ?」
「まぁ、どうしようかしら。たいした傷じゃないんではなくて?」
「あんまりイジメるなよ」
 すねた少年のように振舞うはるか。
 いつものはるかに戻った・・・。
 そう感じたみちるは、もう一度はるかをそっと抱きしめた。
 

END

>あとがき




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