海沿いの道を、はるかの車が風を切る。
海と道路の間に砂浜が横たわり、ゆるいカーブを描いている。
潮の香りに誘われたか、どちらが言い出すわけでもなく、はるかとみちるは砂浜へと降り立った。
春の足音はまだ遠いこの時期に、砂浜に人の気配は少ない。
少し離れたところで、犬にフリスビーを投げている人がひとりいるだけだった。投げられたフリスビーを犬は追いかけ、ジャンプして口でキャッチしている。
「へぇ、うまいもんだな」
その姿を見て感心するはるかの横で、みちるは履いていた靴を脱いでいた。
「おいおい、水はまだ冷たいゼ」
「平気よ」
そう言うと、みちるは波打ち際まで小走りで行ってしまった。
「やれやれ」
はるかは近くにあった大きな流木に腰を降ろした。
そして波とたわむれるマーメイドを見つめ、ふとその遥か遠くの水平線に視線を移す。
水平線に吸い込まれるように延びるいく筋もの雲。
しかし決して交わることのない海と空。
デス・バスターズとの戦いが終わってから、はるかはずっと気になっていることがあった。
『タリスマンは見つかった。
世界も沈黙から救われた。
じゃあ、ボクは・・・ボクたちは・・・。
もう、ボクたちの役目は終わったのか?
もう、元の生活に戻るべきなのか?
元の生活ってなんだ?
ボクは・・・ボクたちは・・・』
こんな思考が時折駆け巡るのだ。
ゴールの見えない、ただ巡るだけの思考。
はるかは大きく息を吸い込み、そしてそれをフウッと吐き出した。
「すいませ〜ん」
フリスビーを投げていた人が、大きな声を上げた。
はるかが声のした方をみると、フリスビーを追いかけていた犬がはるかを目指して走ってきていた。
フリスビーが風に流されたか、犬がキャッチし損ねたのか、犬よりも先にフリスビーがはるかの足元に転がってきた。
そしてフリスビーを追って、茶色がかった金色の毛を躍動させた犬が、息を弾ませてかけてきたかと思うと、人懐っこそうな目をしてはるかの目の前にきちんと座った。鼻先ではるかが手にしたフリスビーをコンコンとつつく。
「あぁ、これが欲しいのか。おまえ賢いな」
そう言ってのどから胸にかけてをさすってやると、犬は気持ち良さそうに目を細めた。
「おまえはいいな。金色の風みたいだ」
はるかにフリスビーをくわえさせてもらうと、犬は一目散に飼い主らしきひとのところへかけ戻っていった。
「おまえには帰るところがちゃんとあるんだな・・・」
走り去っていった犬をじっと見つめていると、いつの間にかみちるが目の前に立っていることにはるかは気付いた。
「ゴールデンね」
「あぁ、キレイな犬だ・・・」
「まぁ、キレイだなんて」
「・・・・・・」
「はるか?」
いつもの反応が返ってこないことに気付き、みちるははるかの隣に腰を降ろした。
「どうかして?」
「ねぇ、みちる・・・。いや・・・うん、何でもないんだ」
はるかは言葉にして出すことをためらった。
口にしてしまえば後戻りできない。答えを求めてしまえば知らなくてはいけない。
「何?はるか。・・・大丈夫よ」
はるかの葛藤を和らげるみちるの言葉。
「ボクは・・・ボクたちは・・・」
波と遊んでいたマーメイドは、今凛としてそこにいた。その口からこぼれた「大丈夫」という言葉にしがみつくように、はるかは自らの気持ちを口にした。
「ボクは・・・何のためにここにいるんだろう・・・。ボクたちは・・・まだ、いっしょにいてもいいのかな・・・。元の生活に・・・戻るべき・・・なのかな・・・」
だんだんと声のボリュームが下がる自分を情けなく思いながらも、はるかは目線を下に向けずにはいられなった。
みちるは少し間をおいて、優しい口調ではるかに言った。
「はるかは・・・はるかはどうしたいの?」
はるかは下に落とした視線がとらえていた砂浜を、しばらくじっと見つめていた。
「ボクは・・・ボクは足跡をつけたいんだ。生きているっていう・・・ここにボクがいたっていう証しを・・・」
はるかは水平線へと目を向けた。
「海と空は交わることはないけど・・・だけど・・・」
「あら、私は海と空はいつも触れ合っていると思っていてよ」
「え?」
「だってそうでしょ? 海から顔を出した時、そこにあるのは地面なんかじゃないわ。そこはもう空なのよ」
思いも寄らなかった、と目を丸くしてみちるを見つめるはるかに、みちるは微笑んで続けた。
「私の答えは前から決まっているわ。私はあなただけを見てきたの。その人だとわかるずっと前からよ。元の生活だなんて・・・私には無いようなもの。今が私の生活だと思っているもの」
はるかは、さっきまであれこれと考えていた自分が何だか滑稽に思えて苦く笑った。
「君といっしょにいると、優しい気持ちになれるんだ。不思議だよ、自分でもサ」
「それはあなたが優しいひとだからよ、はるか」
言われて照れるはるかは、ごまかすように立ち上がった。
「それじゃあ・・・ていうのもヘンだけど、ちょっと見せたいものがあるんだ」
「何?」
「ここからじゃちょっと見えにくいんだけど、あの丘の中腹辺りに家が何軒か建っているのわかる?」
みちるも立ち上がってはるかの指先が示す方向を見る。
海沿いの道よりも少し奥まった位置で小高い丘があった。雑木林の間、丘の中ごろに家が何軒か建っているのが見える。砂浜からでも窓の数が見て取れるくらいの距離だから、家からの見晴らしもきっといいだろうと推測できた。
「前に約束しただろ? 海辺に建つ白い家サ」
「え?」
「ちゃんと探しといたんだゼ。これから行ってみない?」
はるかは車のキーを取り出すと、みちるを車へとせかした。
そして心の中でこうつぶやいた。
『ボクはやっと気が付いたよ。
ボクを好きでいてくれる君がいること・・・。
それがボクがここにいる証しなんだってことをね』
「何? なにか言ったの? はるか」
みちるの言葉に、本当に聞こえたのかと思い驚いたはるかだったが、少しイタズラっぽく片目をつぶって言い返した。
「見つけたのサ、君の中にね」
「何のこと? もう、おかしなひとね」
みちるはクスッと笑うとセカンドシートに身を沈めた。
はるかはキーをひねり、車をスタートさせる。
風が流れ出す。
海に触れている空。
空を感じている海。
そして海の彼方、空の彼方へと向かう風は、すべてを震わす力。
海と空を翔ける、そしてふたつをつなぐ風は、今二人を優しく包んだ。
END
>あとがき