今朝は何かがいつもと違う。
なんだろう・・・。
そんなことをまぶたの下で感じながら、ボクは遅い朝を迎えた。
レースの遠征から戻ったばかりの疲れた体。ひとりベッドから身を起こして窓から見える空と海を眺め、大きな深呼吸をひとつした。そしてガウンを羽織ると階下へと足を運んだ。
そこには、せつなとほたるがキッチンから居間へと食器を運んだり、天井から壁へと折り紙で作ったチェーンを飾ったりと、忙しそうに立ち振る舞っていた。
ほたるがボクの姿を見つけると、そのチェーンは自分が作ったのだと誇らしげに言葉を弾ませた。ボクは「すごいな、こんなに長いのをひとりで?」と聞き返すと、ほたるは「うん!」と笑顔いっぱいに答え、再びせつなの手伝いへと走った。
「みちるは?」
ボクはなんとなく居間に入りづらく、階段の下から誰へともなく聞いてみた。
「あら、はるか。お寝坊さんね」
ふいにボクの後ろからみちるの声がした。艶やかで凛としたきれいな声。
みちるの声だ。
「おはよう、みちる」
ボクがおはようのキスをすると、みちるは軽く微笑んで手に抱えていた大きな花瓶をボクに渡した。
「なに? コレ・・・」
「花瓶よ。これを居間のテーブルに置いてくださる? できれば早く着替えてきていただきたいわ」
ボクはみちるの意味深な笑顔に押されて、花瓶をテーブルのほぼ真ん中に飾るように置き、二階へと着替えに上がった。
なんだか何かがいつもと違う。
なんだろう。今日はいったい何の日だ?
ボクは着替えながら、あれこれと考えを巡らせた。
正月は過ぎてる。ほたるの誕生日も過ぎた。ボクの誕生日は遠征前にみちるが祝ってくれた。
みちるの機嫌が何となく悪そうだったけど、関係あるのかな・・・。
何かの記念日か? う〜ん、思いつかない。
これは・・・マズい。
でもボクとみちるの記念日だとしたら、4人でパーティーみたいなことするか?
じゃあ4人にとっての何かの記念日なのか? これも思いつかない。
まったく見当もつかないままで、着替えは済んでしまった。
階下でほたるの喜ぶ声がする。いちごとバターを溶かしたような甘い匂いが漂ってきた。
ケーキかクッキーか、せつなとほたるが作ったんだろう。
着替えができたんだから降りていくしかない。
仕方ない。
聞かぬは一生のハジだ。
ボクは覚悟を決めて階段を降り、居間へと向かった。
居間へ入るとさっきのいい匂いの主が、ボクの置いた花瓶を囲むようにいくつかの皿に盛り付けられていた。ほたるの説明によると、ふんわりクッキーといって食感がふつうのクッキーよりも軟らかいのだそうだ。
花瓶にはさっきとは打って変わって豪華に花が飾られている。
グラジオラスを色とりどりにあしらって、それでいて品があり、その根元にキラキラしたリボンを巻いて全体のバランスをうまく演出してあった。
グラジオラスは夏の花だ。わざわざどこかから取り寄せたに違いない。こんな贅沢に花を挿すのはきっとみちるだろう、とボクは思った。ボクもヒトの金銭感覚をあれこれ言えない立場だとよく言われるが。
ボクが花に見惚れていると、みちるがから揚げ料理をキッチンから運んできた。
「みちる! 揚げ物してたの? 手を火傷したら大変じゃないか!」
ボクが真剣になってみちるに駆け寄り皿を渡してもらうと、せつなが「大丈夫ですよ」と笑って口をはさんだ。
「揚げたのは私ですから。みちるさんには包丁だって持たせていませんよ」
「そ、そうか・・・」
せつなに少しからかわれたみたいに感じて、ボクはちょっと顔を赤らめてしまった。
バイオリニストでもあるみちるの手は、傷つけてはいけない。みちるはそんなドジはしないと言うが、ボクは常々、極力みちるには家事をやらせたくない、と思っているんだ。
「はるかが手伝わないからよ。もうお客様がお見えになるわ」
「え? お客?? 今日は何かの記念日じゃなかったの?」
「何言ってるの? なにか身に覚えでもあるのかしら?」
みちるの目がキラリと光った。口元は微笑んでいるけど。これが怖い。
「そ、そんなことはないけど。じゃあ今日のコレは何??」
言った。とうとう聞いたぞ。ボクはみちるの返事を待った。
みちるは「あっ」と小さく呟き「ごめんなさい」とボクに謝った。
「はるかは遠征に行ってて知らなかったよね。今日はお客さまを招いてのパーティーなのよ」
謝るみちるに「いいんだよ」と軽く流してボクは聞いた。
「で、お客って誰なの?」
「この家を私たちに与えてくださった方よ」
みちるは幸せそうに笑みを浮かべ、頬をうすく染めた。
「それって・・・ボクだろ?」
ボクは少し不満そうに口をとがらせた。
「違うわよ、ちょっと次元が違うでしょ?」
「え???」
♪ピンポーン
「あ、いらしたみたいだわ」
「ちょ、ちょっと待ってよ。みちる??」
?マークでいっぱいのボクを置いて、みちるは玄関へと客を迎えに小走りに行ってしまった。
「こんにちは〜。おじゃましま〜す」
「な、おまえは!!!」
目が飛び出しそうなくらいの驚きと、怒りにも似た感情がボクを襲った。
「いつもお世話になっております」
そんなボクのことなんかお構いもなく、せつなは挨拶をさらりとしてのけた。
ほたるも歓迎ムード、みちるは「ようこそ」なんて言って居間へとヤツを招き入れてる。
「今日はご招待頂きまして・・・大変嬉しいです。モンキーエリカです」
「なんで、おまえが!!??」
「え? 私は皆さんからのご招待で・・・?」
ヌケヌケとすました顔で、ボクたちの家に入り込んできたのはモンキーエリカだった。
「そういうことか」
ボクはさっきみちるが言ってた「次元が違う」という言葉をようやく理解した。
「ごめんなさい、はるかには遠征に行ってたものだから詳しく話していないのよ」
「いえいえ。はるかファンとして、こんなふうにお会いできるとはホントに光栄です」
「みちる、謝ることなんかないぞ」
ボクはモンキーエリカに言いたいことが山ほどある。こうして向こうから来るなんて、これはこれでチャンスなのだ、きっと。
「ボクのファンだって? ボクを散々悩ませたり泣かせてるのは誰だと思ってるんだ」
「はるか、およしなさいよ。大人気ないわ」
「だめだ。今しか抗議できないかもしれないじゃないか。みちるだって言うことあるんじゃないのか?」
「ないわよ。私はありのままを書いてもらってると思ってるし、最後はいつも幸せだもの」
確かにそうだ。みちるが苦しんで終わることはない。いまのところは。
でもボクはあるぞ。愛する我が子を谷へ突き落としてるつもりだとでも言うのか? いや、そんな愛のムチではないような気がする。ヤツはどうもボクをいじめたがっているように思えてならない。悩んでいるボクを楽しく書いているに違いない。なんてヤツだ。
そうか、それだからモンキーエリカの書くボクは、軟弱者みたいでどうも気に入らなかったんだ。
ボクは10戦士の中で一番パワーもスピードもあるんだぞ。戦士じゃない普段の生活でも、ボクはトップレーサーとして活躍してるし、その辺の男からみちるを守る自信だってある。
なのにモンキーエリカときたら、そんなボクの活躍なんてちっとも書かない。これではボクのイメージに支障をきたす。こんなことではボクのイメージに支障をきたす! このままではボクのイメージに支障をきたすんだ!!!
「はるか?」
「
ボ、ボクは強いんだぞ〜!!」
みちるの声につられて、思わず叫んでしまった・・・。
一同が沈黙した。空気が凍てついたのがわかる。
「だ、だから・・・つ、つまり・・・
ボクはみちるを愛しているんだ!!」
その場を取り繕おうとして・・・。ああ、もう自分でも何を言いたいのかわからなくなってきた。
「わかってますよ、はるかさん」
モンキーエリカがニコリと微笑んだ。
なんだか余裕の微笑みだ。
「それがわかってるから、いい思いもさせてるんじゃないですか」
「う。そ、それは・・・多少はあるが・・・」
それもそうなんだ・・・。ボクだってみちるの気持ちを助けたこともあるし、モンキーエリカはボクの気持ちの代弁者のようなヤツなんだ・・・。いいところだってあるんだよな・・・。
「もっとボクのいいとこも書けよ!」
「もちろん!楽しみにしててください。私も楽しみなんですよ」
モンキーエリカは不敵に微笑んだ。全く気に入らないヤツだ。
「せつなさんやほたるちゃんも楽しみにしていてくださいね。そのうちちゃんと書きますから」
「うれしい!」
「それは楽しみですね」
ちぇっ。結局丸め込まれたみたいだ。ヤツはせつなとほたるにも歓迎されて、ふんわりクッキーをほおばっている。
「いいのではなくて? はるかのこと好きなのよ、彼女」
膨れっ面で椅子にドサリと座ったボクの頬に、みちるが軽く唇を落とした。
「まぁね、ボクはモテるからな。中にはあんなヤツもいるってことか」
「まぁ、はるかったら」
「ボクが好きなのはみちるだけさ」
仕方ない。ここはみちるに免じて百歩譲ってやるとしよう。苦笑い気味にみちるの手にキスを返した。
「あ、そうそう。次がどうなるかは保障できませんよ。私、気まぐれですから」
「なんだと〜〜!!」
ハハハハハ〜〜〜ッ、と下品に笑うモンキーエリカに向かってボクは地団駄を踏んだ。
悔しいけれど書き手にボクたちの運命は委ねられているんだ。
お願いだ。モンキーエリカ以外の誰か。ボクを幸せいっぱいにしてくれ。
「次こそは、ボクのいいとこ書けよ!!!」
「うふふふふふ・・・・」
悔しい。悔しいぞ。
そんなボクの気持ちをヨソに、モンキーエリカの不気味な笑いは、ボクの叫びを吸い込んで行った・・・。
END
>あとがき