いつもの桜並木をバイクが走り抜けて行く。花弁を乗せた風が体をすり抜ける。
「みちるの方が似合うと思うけどな・・・」
ヘルメットの中で、はるかは再び呟いていた。
雨の中、二人で見た桜。みちるはそれが自分に似合うと言った。
だが、今この舞い散る桜は、みちるにこそふさわしいと思うのだ。
あの時、みちるは何のためらいもなく、はるかを救うために敵の前に身を投げ出した。
みちるが倒れてゆくのを見ながら、一瞬何が起きたのか理解できなかった。
彼女は、その命をはるかと引き換えにしたのだ。世界とではなく。
はるかにとっては、大きな衝撃だった。そんな素振りは微塵も見せず、みちるはとうに覚悟していたのだ。はるかは自分が守ると・・・。
その決心も知らず、自分は敵のことしか頭になかった。
僕は一体何を見ていたのだ?ずっと一緒にいたのに。同じ運命を生きると決めたはずなのに・・・。
みちるの名を呼びながら、はるかもまた気付いてしまった。
世界よりも何よりも ”失クシタクナイヒト”
散る直前の桜は、不思議なほどの静けさをたたえている。何かを待っているかの様に息を潜め、時が来れば一気に舞い散る。取り残される者の感傷など気にも止めずに。
”桜の下には死体が埋まっている”
なんとなく、そんなフレーズを思い浮かべて、はるかは苦笑する。
『みちるは生きてるじゃないか』
でも・・・同じ場面に出くわせば、みちるはまた同じことをするだろう。では、その時自分は・・・?
目の前を幾つもの桜が現れ、過ぎて行く。
だが今、はるかの見たい”桜”はひとつだけだった。
やがて、行く手に一際大きな桜が見えた。その見事な枝振りに、さすがにはるかもスピードを落とす。もう日も落ちかけ、空は薄茜色に染まっている。空と桜、そしてその下には花を見上げて佇む人。
「みちる!」
まるで絵のようなその光景を壊したくなくて、はるかは少し手前でエンジンを切り、そのまま惰性で彼女の傍らにバイクを滑り込ませた。
バイクから降りて、ヘルメットをとる。
花びらが ひやり、と頬をかすめる。その感触が彼女の指先を連想させ、はるかの心を和ませた。
そのまま、黙って桜を見上げる。
「おかえりなさい。・・・どうかして?」
みちるが、怪訝そうに首を傾げた。
「いや・・・あのさ、桜は散ってしまうのが惜しくはないのかな?と思ってサ」
「あら、おセンチなのね」
再び、二人は桜を見上げた。
風が梢をわたり、花と二人の髪を優しく揺らす。
「惜しくはないわ」
唐突にみちるが答えた。そして、はるかの方に向き直り、
「だって、それが 桜 というものではなくて?」
その艶(あで)やかな笑みに思わず見とれてしまう。
沈黙と潔さ。
そう、はるかにとって、それはまさしくみちるそのものに思えた。
いつも静かに笑みをたたえ、そのくせ、こちらの預かり知らぬところで心を決めている。
舞い始めたら、もう見ているしか術はないのだ。その美しさから目を離せずに。
『まったく、油断ならないよな』
はるかが小さくついた溜息を知ってか知らずか、みちるは悪戯っぽく言う。
「そういえば、桜の下には死体が埋まっているそうよ」
「おいおい、物騒だなあ」
返しながらも、胸の内を見透かされた気がして、はるかはドキリとした。
みちるは、視線を木の根元へと移した。
「いつも不思議に思うの。あんなに沢山の花びらは、何処へ行ってしまうのだろうって」
言われてみればそうだ。散り始めた頃は、まるで雪の様に地面に降り積もり、手ですくっては空に投げるという遊びを子どもの頃にした憶えがある。なのに、気付くといつも跡形もなく消えていた。
本当に何処へ消えてしまうのだろう。
その儚さがみちると重なる気がして、はるかは、ふいに胸の奥が痛むのを感じた。
そんなはるかの気持ちをよそに、みちるは続ける。
「埋もれているのは、きっと桜の亡骸ね」
思いもかけない言葉に、はるかはみちるの横顔を見つめる。
「桜の?」
「そう。きっと桜の想いを乗せて・・花びらは土に還り、また新しい花を咲かせるのではなくて・・・」
そう言うとみちるは、はるかを見つめ返した。瞳には強い光が煌いている。
空にはもう夕闇が迫り、茜に染まった雲が藍色へと溶けてゆく。
その中で、明かりもないのに、みちると桜だけが浮かび上がって見える。
二人の間には、花びらだけが舞い落ちる。
「ああ、そうだね・・・」
髪に肩に、優しく降りかかる花びらがいとおしい。その心地よさに、知らず目を閉じる。
もしこの先、みちるを失うことがあっても・・・足下に積もる花を踏みしめて、自分はきっと立ち上がるだろう。そうありたいと願う。それが君の望みなら。君がそう望んでくれるのなら。
『でも、それならば・・・』
はるかは、頬にまた花びらの冷ややかさを感じて、目を開けた。すぐ目の前にみちるがいた。はるかの頬に軽く手を添え、心配そうに覗き込んでいる。
「はるか?」
「なんでもないんだ」
その手に自分のそれを重ね、はるかは微笑んだ。胸の痛みは、まだ消えない。でも・・・。
「桜に酔ったかな?」
「そうね。ふたりとも安上がりでいいわね」
顔を見合わせて、ふふと笑う。
「もう帰ろうか。おナカもすいたし」
「はるかったら、花よりダンゴなのね」
薄闇の中に、みちるの笑顔の輪郭が浮かぶ。
それをかけがえのないものに思いながら、はるかは密かに誓った。
『僕が君に降る花になるよ』
闇に紛れて、桜は降り積もる。
やがて花は終わり、新しい季節がくるだろう。
けれど、その胸に、花はいつも咲いている。
END
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