グラスとシャンパンを買って白亜の館に戻ってきたはるかは、ガレージに愛車を止めるといつもより少し勢いよく車のドアを閉めた。ドアはいつもより少し大きめな音をたてる。
玄関の前でひとつ咳払いをすると「戻ったよ」と一声掛けて扉を開けた。
「おかえりなさい」
みちるがテラスからリビングへと歩み寄って来る。
「た…ただいま」
「なにを照れているの? あなたの家でしょ?」
くすぐったそうにしているはるかを見て、みちるがクスッと笑った。
「う…ん、そうなんだよな」
はるかはまだなんとなく落ち着かない様子だ。
「あれ? ユキさんは?」
幸代の姿がないことに気付いたはるかは、リビングを見渡して言った。
「幸代さん、さっきお帰りになったわ」
きっとはるかが残念がるだろうと予想してか、みちるは気づかうようにはるかに告げた。
「え、そうなの?」
「ええ。はるかにはまたいつでも会えるからって」
がっかりしているはるかを見て、みちるもまた声のトーンを落とした。
ふうん、と言ってしばらく黙っていたはるかだが、買ってきたシャンパンをみちるに差し出した。
「世界は破滅から救われたんだ。またいつでも会えるさ。シャンパン、よく冷えてるぜ。カンパイしよう」
はるかは軽く片目をつぶって、買ってきたグラスとシャンパンを抱えてキッチンへと向かった。
キッチンでシャンパンをポンッと開けると、グラスに淡い金色の炭酸をシュワシュワと音を立ててそそぐ。切子が光を乱反射させて、金色の泡がキラキラと輝いている。
「引越しもしていない家ではこれ以上のものは望めないな」
本当ならチーズか何か欲しいところだと思いつつ、はるかは仕方なくシャンパンのそそがれたグラスをふたつ持ってリビングに戻った。
広いリビングには、この家の主の持ち物だったらしい大きなソファが、リビングからテラスに向かって半円を描いて座していた。白亜の館に唯一残されていたその家具に、ふたりはどちらから言い出すでもなく腰を降ろした。
「ありがとうって言うべきかしら?」
はるかにグラスを渡されたみちるが言った。
「どういたしまして」
茶目っ気を含んだみちるの問いかけに、はるかもグラスを持っていないほうの手を胸にあて、軽く頭を下げて笑ってみせた。
お互いの顔を見て吹きだすように笑うふたり。
「カンパイ」
切子のグラスを軽く当てると、チンッと小気味いい音が室内に響いた。
「ユキさん、何か言ってた?」
「あら? はるかさん、気になるの?」
みちるは、フフッと笑うと意味深にはるかを見つめた。
「そりゃぁ……まぁ……ね」
わざとみちるから目を逸らして、はるかはグラスを口に運ぶ。
「いろいろと……。あなたがどうして自分のことを『ボク』って呼ぶのか、とかね」
はるかは、吹きだしそうになったシャンパンをグッと飲み干した。
「ええ!? ユキさん、そんなことまで話したのか!?」
みちるがはるかの動揺を見て、楽しそうに笑う。そして幸代と同じように、はるかを心配し、愛する者としてはるかをじっと見つめた。
「いい方ね。はるかのこと、とても心配してらしたわ」
「うん……」
ふたりはシャンパンを口に含み、海の音に耳をしばらく傾ける。
「世界は沈黙から救われたわ」
みちるがフイに口を開いた。
「私たち、少しは自分たちのことに目を向けてもいいころではなくて? ちょっと息継ぎをしたいと思わない?」
「今の平穏がいつまで続くかなんてわからない?」
「ええ、そうかもしれないわね。もう絶対に大丈夫、なんてことは言えないのかもしれないわ」
「そうだね。そもそもこの世界に『絶対』なんてこと、ありはしないんだ」
「あら。それは違うわよ、はるか」
みちるの言葉に、はるかが「え?」と目を向ける。
「はるかといっしょにいることの幸せ。これは私にとって絶対のものよ」
はるかはみちるを見つめた。みちるの揺るぎない想いが伝わってくる。
「ありがとう……みちる……」
ふたりはもう一度、グラスの淵を合わせた。
ソファに身を預け、窓の外を見やる。
夕陽は姿を消し、夕焼けていた空がマジックタイムのグラデーションを映し出していた。
「夜は怖い……な……」
はるかが呟くようにもらした。
「ふたりでいれば、大丈夫よ……」
みちるがはるかの肩に、軽く頭を乗せてささやく。
「今夜はもう帰れないぜ。アルコール入ってるから」
「いいわ。このままソファで眠りましょ」
波の音がふたりの耳に響く。
はるかはみちるを引き寄せ、そのまぶたを優しく手のひらで覆った。
「OK。じゃあ、ボクが昔話を聞かせてあげる」
「まぁ、ステキ。あなた自身の?」
「さぁ……ね」
マジックタイムが終わりを告げる頃、空は宇宙の姿をあらわにさせる。
星空はふたりを歓迎するかのように強く輝き、光のシャワーを降らせる。その光は過去から現代に、そして未来にかけての光。
そしてふたりの物語も……。
最終章 END
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